書名:危機の政治学――カール・シュミット入門
著者:牧野雅彦
出版社:講談社
出版年:2018

北朝鮮やテロの脅威が現実味を帯びる中、そのような「非常事態」において、政治家や国民はどのように対応すべきなのか? 
カール・シュミットは、二度の世界大戦という「危機」を経験したドイツの思想家です。「友敵理論」「決断主義」「独裁」「合法性と正統性の対立」…。彼の提出する概念は、いずれも凄まじいものですが、本書は「政治神学」なる概念を軸に、シュミットの思想を紐解きます。 

シュミットには、ナチスの「桂冠法学者」としての悪しき経歴があるため、思想界の「要注意人物」です。しかし、単なるナチ礼賛の「御用学者」では済まない問題があります。それは、彼がローマ・カトリックの信徒であったことと深く関係しています。

シュミットを読み解く、この本のキーワード「政治神学」とは何か。それは”正しい判断”をめぐる概念です。
当時、第一次大戦の敗戦や社会主義革命の勢いに直面したドイツ。決められない議会の「逡巡」に対して、シュミットは、独裁者による「決断」を対置します。

彼が依拠するのは、フランスのド・メーストル、スペインのドノソ・コルテスといった、カトリックの保守反動思想家たちです。

コルテスは、『新約聖書』の「キリストとバラバ」の有名なエピソードを持ち出して、人間の自由を批判します。バラバとは、イエスの代わりに恩赦を受けた囚人の名です。民衆に、バラバとイエス、どちらを免罪すべきか問うローマの総督ピラトは、「バラバを!」と叫ぶ人々の声に押されてイエスを処刑します。

神の真理を告げるキリスト(=救世主)ではなく、民衆の声(デモクラシー)の方が正しいのか、それはたいへんな誤りだ! というのがコルテスの主張です。つまり、”政治的指導者は、たとえ人々の合意を破ってでも(独裁)、神を救え”と。

政治神学の特徴は、神の権威(正統性)を持ち出すことで、世俗の権力(合法性)を相対化できることにあります。キリスト教徒にとって重要なのは、いずれ移りゆく権力に従うことではなく、神に従って救いを与えられることだからです。
シュミットの政治理論は、このような宗教的・実存的動機から読み解かないと意味がわからない、というのが本書の立場でしょう。

ところで、先の「バラバかイエスか」において、イエスを選ぶことが正義なのは、イエス=キリストの啓示を受けたキリスト教徒にとっては自明でしょう。ですが、他宗教や世俗の人々にとっては、はたして合理的な根拠となるのでしょうか?

ちなみに、最近、この問題の合理的翻訳を考察しているのが、ドイツの哲学者 J・ハーバーマスです。彼は、シュミットのエリート主義的、国家主義的な政治概念を、宗教的市民と世俗的市民からなるパブリックな討議として理解します。

もちろん、緊急事態にどう対処できるのかという厄介な問題は残るでしょうが(それこそがシュミット理論の眼目ですが)、いずれにせよ、「政治神学」なる不透明な概念は、そのままでは使い物にならないのです。

(評者:大窪善人)

更新:2018/08/04