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精神分析とジェンダー・入門ブックガイド

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「精神分析と○○」の○○に入るものは諸々ありまして、「精神分析と精神医学」は勿論、「精神分析とマルクス主義」が流行した時代もあったり。ここでは、わけても、筆者が関心を持っているところの「精神分析とジェンダー」について考えるための書籍をいくつか挙げてみたいと思います。

性や性別をめぐる考察に精神分析は大きく寄与してきましたが、その理論には、どうも女性蔑視的で古臭く見える部分があるのも事実です。フロイトの理論は、家父長制だの既存の性役割だのってこーんなくだらなく危うい基盤の上で成り立ってるんだぜ!ということを明らかにしてもくれますが、だがそうして成り立ってるものをハッキリ否定してくれるかといえばそういうわけでもなく、ときに反動的に利用されうる理論であるのも事実。たとえば今日でも、ネット上の言説を見てみますれば、フロイトの悪名高き「ペニス羨望」理論が未だに「フェミ叩き」に使われていることが分かります。フェミニストや女傑的イメージのある女の政治家に対して、「ペニスがついてない劣等感で僻んで男を恨んどるだけやん」と中傷するわけですが、君たちのその古式ゆかしき論法は50年も前にフリーダンが告発したものだよ。

では、そのように、有用性もありかつ危険性もある精神分析と、女性たち・わたしたちはどう付き合って(あるいは付き合わないで)いきましょう? と気になった場合に読む本を以下に挙げてみます。けっして網羅的ではありませんが、同じ関心・問題意識を持つ方に、入口として活用していただければ幸いです。


■ フロイトの理論とその周辺

● さて。とはいってもそもそも精神分析の理論ってちゃんと知らないや、という方も多いかと思います。精神分析には様々な学派がありますが、その始祖はご存知フロイト先生です(当ブックガイドでも断りなしに「精神分析」という場合、彼の理論を念頭においています)。が、彼の理論や用語って断片的には聞き知っていても、その全貌を知る機会はあまりありません。フロイトは、年代によって理論の変遷も大きいので、まずは入門書でその大まかな見取りを掴むと入りやすいでしょう。

 

書名:面白いほどよくわかるフロイトの精神分析――思想界の巨人が遺した20世紀最大の「難解な理論」がスラスラ頭に入る (学校で教えない教科書)

監修:立木康介

出版社:日本文芸社

出版年:2006年

 

フロイト関係の入門書は、ごく平易なものから小難しいものまで山のようにありますが、易しいものの中で良かったものを挙げておくと、立木康介監修『面白いほどよくわかる・フロイトの精神分析』(日本文芸社、2006・図解入り)です。「難解な理論がスラスラ頭に入る!」とのキャッチコピーが少し胡散臭く見えますが、内容はしっかりしています。フロイトの理論全体がカヴァーされているのみならず、ユング・アドラー・ラカンetcなどその後の精神分析の展開もフォローされていますし。章間に挿入される監修者のコラムも含蓄に富んでいます。

 

書名:フロイト (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 1)

著者:リチャード・アッピグナネッセイ

イラスト:オスカー・サーラティ

訳者:加瀬亮志

出版社:現代書館

出版年:1980年

 

あとアッピグナネッセイ&サーラティ『FOR BEGINNERS・フロイト』(加瀬亮志訳、現代書館、1980)も、挿絵が不気味で良いです。精神分析用語については、『精神分析事典』(弘文堂)が便利。


 

書名:エロス論集 (ちくま学芸文庫)

著者:ジークムント・フロイト

訳者:中山元

出版社:筑摩書房

出版年:1997年

 

● 次に、フロイト自身の著作に当たりたいなと思ったら、人文書院の著作集岩波書店から刊行中の全集がありますが、手軽に読める訳本としては、ちくま学芸文庫のシリーズがあります。当ガイドブックのテーマに沿うなら、『エロス論集』(中山元訳)に、性理論の主要論文が年代順に収録されています。性や性差というものについてフロイトが何を考えたのか、現在も批判されたり応用されたりしている彼の理論はそもそもどういうものだったのか、これに当たって確かめてみてください。


 

書名:20世紀の女性精神分析家たち

著者:ジャネット・セイヤーズ

訳者:大島かおり

出版社:晶文社

出版年:1993年

 

● では、そのフロイトの性理論は、フロイト以後どのように展開していったのでしょう。まず、女性たちがそれをどのように受容し展開したか、ということに関しては、ジャネット・セイヤーズ『20世紀の女性精神分析家たち』(大島かおり訳、晶文社、1993)に詳しいです。ドイッチュ、ホーナイ、アンナ・フロイト、メラニー・クラインという、いずれも重要な四人の女性精神分析家が扱われています。それぞれの理論だけでなく伝記的事項も紹介されています。ドイッチュなどは、フェミニズムの文脈では、単なるフロイトの太鼓持ちのように言及されていたりもしますが、本書では、それだけではない彼女の一面が紹介されています。また、妙木浩之『エディプス・コンプレックス論争』(講談社、2002)は、フロイトの性理論の要である「エディプス・コンプレックス」概念をめぐる議論(こちらは女性分析家によるものに限らず)を丁寧に追った本です。


 

書名:ザビーナ――ユングとフロイトの運命を変えた女

著者:カシュテン・アルネス

訳者:藤本優子

出版社:日本放送出版協会

出版年:1999年

 

● フロイト周辺の女性の伝記としては、ユングの愛人でありフロイトの弟子であったシュピールラインを書いた、アルネス『ザビーナ』(藤本優子訳、日本放送出版協会、1999)があります。ただし厳密には伝記でなく小説です。

 

書名:フロイトのアンナO嬢とナチズム―フェミニスト・パッペンハイムの軌跡 (MINERVA歴史叢書クロニカ)

著者:田村雲供

出版社:ミネルヴァ書房

出版年:2004年

 

また、精神分析草創期の有名な症例となったアンナ.O嬢の伝記:田村雲供『フロイトのアンナO嬢とナチズム』(ミネルヴァ書房、2004)は、患者としてしか知られざる彼女の、フェミニスト活動家としての貌を描いた貴重な研究です。両者とも、フロイトの同時代の人物関係のダイナミズムを捉えるのにオススメです。

 

■ フェミニズム and/vs 精神分析

● さて、冒頭に述べたように、精神分析の性理論は、フェミニズムと両義的な関係を結んできました。では、今度は、そもそもフェミニズムって?……と言い出すと、膨大な本を紹介せなあかんので、ここでは精神分析との関係というテーマにしぼって二冊。

 

書名:フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))

著者:大越愛子

出版社:筑摩書房

出版年:1996年

 

フェミニズムといって一般的に想像されるのは、口うるさいおばちゃんがぎゃあぎゃあ群れてる、という風景であるのでしょうが、そんなイメエジに反して実際は、「フェミは一人一派」と言われるように多様な立場があります。その見取り図としては、大越愛子『フェミニズム入門』(ちくま新書、1996)が読みやすかったです。「精神分析派フェミニズム」についても少し言及があります。

 

書名:フェミニズム (ワードマップ)

編者:江原由美子、金井淑子

出版社:新曜社

出版年:1997年

 

もうちょっと詳しいところでは、 『ワードマップ・フェミニズム』(江原由美子・金井淑子篇、新曜社、1997)所収の、加野彩子「精神分析とフェミニズム」がおすすめ。フロイト理論・対象関係論・ラカン理論・それらに対するフェミニズムからの批判/或いは応用、が概観され、基本的な参考文献も挙げられています。日本において精神分析・フェミニズムをどう受容すべきか?ということについても積極的な提言が。

さて、この神野さんの文章は「精神分析とフェミニズムの腐れ縁」という言葉から始まります。フェミニズムにとって精神分析理論は有用である一方、その有用性を利用する際に「精神分析理論の根本にからみついている性差別をまず批判しなければならない」と。では、その腐れ縁ぶりを見てみたい・どんな「批判」があったのか見てみたい、と興味をもったら、代表的なのは次の諸著作。

 

書名:決定版 第二の性〈1〉事実と神話 (新潮文庫)

著者:ボーヴォワール

訳者:『第二の性』を原文で読み直す会

出版社:新潮社

出版年:2001年

 

ボーヴォワール『第二の性』(『第二の性』を原文で読み直す会 訳、新潮文庫、2001、原著は1949)
「人は、女に生まれるのではなく女になるのだ」のフレーズで有名な古典。数年前に文庫で新訳が出、読みやすくなりました。第一部で、生物学・精神分析・唯物論における女性についての言説がそれぞれ検討されています。

 

書名:新しい女性の創造

著者:ベティ・フリーダン

訳者:三浦冨美子

出版社:大和書房

出版年:2004年

 

ベティ・フリーダン『新しい女性の創造』(三浦冨美子訳、大和書房、2004、原著は1963)
「第二波フェミニズム」の呼び水となったとともに、フェミニストからの精神分析批判の嚆矢となった本です。精神分析の「ペニス羨望」などの概念が女性に抑圧的に働いてきたことを告発しました。邦題は、自己啓発書みたいでちょっと……と思います。なお、女同士の格差など、現在でもアクチュアルな問題を考えさせられる本でもあります。

 

書名:性の政治学

著者:ケイト・ミレット

訳者:藤枝澪子

出版社:ドメス出版

出版年:1985年

 

ケイト・ミレット『性の政治学』(藤枝澪子他 訳、ドメス出版、1985、原著は1970)
かなり読み応えのある大著ですが、フェミニズムvs精神分析を語るには欠かせない本。基本的な主張はフリーダンのそれを受け継ぎつつ、当時ホットなトピックであった「女性の性感帯はクリトリスか膣か」論などが展開されています。

 

書名:精神分析と女の解放

著者:ジュリエット・ミッチェル

訳者:上田昊

出版社:合同出版

出版年:1977年

 

さて、これらの議論をふまえて書かれたのが、
ジュリエット・ミッチェル『精神分析と女性の解放』(上田昊 訳、合同出版、1977、原著は1974)
精神分析派フェミニズムの記念碑的著作。ミッチェルは英国の人ですが、フランスでの、精神分析とフェミニズムを接続しようという運動の影響を受けた人です。彼女は、当時英米フェミの間で評判の悪かった精神分析に、家父長制打倒のツールとしての使い道を見出そうとしました。フロイトの女性論の丹念な読みと、ミレットらによる精神分析批判を概観したうえで、ミッチェルはこう言います。フロイトの理論はそもそもは、フェミニストらが批判するように家父長制を正当化するためのものでなくて、むしろ家父長制を的確に分析するためのものなのよ、と。

そう、家父長制が無意識や象徴といったものを通して我々の精神を形成してゆくやり方を、精神分析は明らかにすることができるのだ、というのが彼女の基本的な主張です。しかし正直、この主張に至るまでの過程はあまり読みやすくはありません。論理が複雑であるのにくわえ、術語が解説なしに使われるので。この本を読むならば、下に挙げるギャロップの本と併せて読むのがオススメです。

 

書名:女の謎――フロイトの女性論

著者:サラ・コフマン

訳者:鈴木晶

出版社:せりか書房

出版年:2000年

 

さて、以上は古典的といえる著作ですが、以下は少し新しいものを。
サラ・コフマン『女の謎 ―フロイトの女性論』(鈴木晶訳、せりか書房、2000、原著は1980)
フロイトの女性論の批判的読解。フリーダンやミレットの著作は、フロイト攻撃というよりは「俗流フロイト」攻撃という側面が強いのですが(「俗流フロイト」がオリジナルフロイトとどの程度関係あるのか無いのかはとりあえず措いておいて――当時、彼女らの国アメリカで、精神分析から発展した自我心理学が全盛であったという事情がそこには影響しているのでしょう)、本書は、フロイト自身のテキストに含まれている矛盾や曖昧さから、フロイトの無意識的な女性に対する偏見や、女性分析家との共犯願望を暴くというスタイルです。コフマンは時折「私、フロイトは」とフロイトに成り代わっての一人称で語ります。

 

書名:娘の誘惑――フェミニズムと精神分析

著者:ジェーン ギャロップ

訳者:渡部桃子

出版社:勁草書房

出版年:2000年

 

ジェーン・ギャロップ『娘の誘惑 ―フェミニズムと精神分析』(渡部桃子訳、勁草書房、2000、原著1982)
これは!フェミvs/and精神分析という問題に興味を持ったとき、私が一番最初に読んだ本です。表紙のデザインやスキャンダラスな著者のキャラクタも含め、すごいイムパクトでした。前述のミッチェル本への言及から始まり(本書の副題もミッチェルへのオマージュです)、ミッチェルがそこに書いたこと・書かなかったことを通してフェミニズムと精神分析の関係を再考し、更に、ラカン、イリガライ、フロイト、と複数のテクストを行き来してゆきます。これもけっして読みやすい本ではありませんし、扱われる文献もラカンやらイリガライやら難解で有名な人々の著作ばかり。ですが、それらをきちんとふまえていないと読めないのか?といえばそんなことはなく、ラカンもイリガライもフロイトすらも読んだことなくても、いきなり本書を開いて構わないと思います。

このタイトルは、娘であるところのフェミニズムが、父たる精神分析を誘惑することを指しています。ファルスは隠されているときにのみ機能するとはラカンの謂ですが、ギャロップは精神分析を、ヴェールにくるまれた権威的ファルスのままにしておきません。彼女は、フロイトやラカンのテキストの中に彼らの戦略や欲望を読み取ろうとして(その意味では上のコフマンの読み方とも似ていますね)、精神分析を、一方的に分析したり診断したりする地位から引き降ろそうと誘惑します。「こんな読み方もできるのか!」と、彼女の「読み」のお手並みをまず楽しんでから、気になった箇所についてフロイトの著作なりラカンの解説書なりに当たる、という使い方は、全然アリだと思います

 

書名:ラカンとポストフェミニズム (ポストモダン・ブックス)

著者:エリザベス・ライト

訳者:椎名美智

出版社:岩波書店

出版年:2005年

 

● ラカンの名前が出たので、ラカンに関しても一つ。ラカンは「女は存在しない」「性関係はない」などという、フェミニズムにとっては実に重要で気になるテーゼを唱えた人ですが、これを詳しく解説しているのは、エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』(椎名美智訳、岩波書店、2005)です。難解なラカン理論を噛み砕いて説明しようとしてくれていますし、巻末には用語集もついていて親切。ライトには『フェミニズムと精神分析事典』(多賀出版)という仕事もあります。

 

書名:フェミニズムと精神分析事典

著者:エリザベス・ライト

訳者:岡崎宏樹、中野昌宏、樫村愛子

出版社:多賀出版

出版年:2002年

 

■ 精神分析を使う ―バカとフロイトは使いよう?

 では実際に、精神分析の性理論はどんなふうに「使われて」いるのか?また、使うとすればどんなふうに使えるか/使うべきか? と気になったら…。

 

書名:フレンチ ラヴ・ポトフ

著者:那須恵理子

出版社:アンドリュース・プレス

出版年:2004年

 

那須恵理子『フレンチ・ラブ・ポトフ』(アンドリュース・プレス、2004)
まず、精神分析を比較的スナオに応用している例を。オシャレな装丁を見ての通り、学術書ではなく一般向けの恋愛論です。パリで働く精神分析家が、クリニックにやってくる女性たち――仕事もできてチャーミングなのに何故か幸せな恋愛をできない、という、我が国でも一定の層には共感されそうな女性像――を通して女性性の困難を考える、というわけですが、そこで使われているのがフロイトの「ペニス羨望」などの概念です。なるほど、と思うか、反発を感じるか、試してみてください。それにしてもなぜ、「女性性とは何か」という問いはみんな大好きなのに、「男性性とは何か」ってあんま問われないんでしょーね。

 

書名:現代社会の倫理を考える〈12〉性の倫理学 (現代社会の倫理を考える (12))

著者:田村公江

出版社:丸善

出版年:2004年

 

田村公江『性の倫理学』(丸善株式会社、2004)
田村氏は、『精神分析学を学ぶ人のために』(世界思想社)という本にも精神分析とフェミニズムをめぐる一節を寄せておられますが、単著であるこちらの方が、一般向けのオープンな文体で読みやすいです。タイトルは難しげですが、内容は、性教育・恋愛や結婚・ポルノグラフィ・幸福な性関係のあり方など身近な問題について、フロイト-ラカンの理論を参照しながら考えるというもの。ラカンのあの難解な「性関係はない」というテーゼから、不可能性にともに取り組むことが結婚ではないか、という論を導いたり。随所で著者自身のエピソードがセキララに挙げられており、いくらかの抵抗をのりこえて(?)思い切って執筆されたことが窺える快著だと思います。中高生にも是非読んでほしいものです。

 

書名:セクシュアリティの心理学 (有斐閣選書)

著者:小倉千加子

出版社:有斐閣

出版年:2001年

 

小倉千加子『セクシュアリティの心理学』(有斐閣、2001)
小倉氏は別に「精神分析派フェミニズム」を標榜している人ではないですが、本書では、摂食障害論に対象関係論が使われていたり、セクシュアリティの構築の説明の際にフロイトが引用されていたりするので、ここで紹介しておきます。特におすすめしたいのは摂食障害論です。摂食障害を患者の心理から説明しようとする論は、どうも、偉そうな医師による上から目線分析が多いので不満なのですが、本書ではそうした分析がはっきりと批判されています。世間の性役割や恋愛や結婚やらにどうも馴染めない、というモヤモヤを抱えた若い人に読んでほしい良書です。文章も非常に分かりやすいです。

 

書名:知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)

編者:新宮一成

出版社:講談社

出版年:2005年

 

『知の教科書 フロイト=ラカン』(新宮一成・立木康介編、講談社、2005)
フロイト=ラカンの基本概念の整理篇と、諸分野との関連など応用篇という構成。当ブックガイドのテーマと関連するところでは、フロイトの「去勢コンプレクス」概念や例の「女は存在しない」の解説などもありますが、殊にここで紹介したいのは応用篇の、伊藤正博「歴史論争とフロイト=ラカン」という文章です。

なぜに歴史論争が、精神分析とフェミニズムというテーマと関連するのかと言いますれば、両者の関係には、まさに歴史論争に喩えられそうな一面があるからです。

初期のフロイトは、神経症を患い治療にやってくる女性たちが「幼い頃に誘惑され性的虐待を受けた」という体験を話すことに気付き、そうした性的トラウマこそが神経症の因であると考えました。ですが、どうも同じような告白をする患者が多すぎる!そんなアホなことが! と考えた彼は理論を修正しました。すなわち、彼女らの全てが実際に虐待を受けたわけではなく、それは、彼女らの幻想であったのであると。この修正理論には様々な反論が予想されますよね。ひとつめ。フロイトは「こんなに多くの人が虐待を受けたワケない」と考えた。でも、世間には性暴力が溢れてるじゃないか! 大人の男であるフロイトはそれに気付かなかったか、むしろ隠蔽しようとしたのかもしれない。ふたつめ。それが「幻想」だったというなら、私たちが虐待を欲したというのか? (勿論「欲していたらやってもいい」とする理論はフロイトには無く、またこの修正理論の力点は、「幻想であっても現実と同じ価値を持ちうる」という発見にこそあったのですが、とはいえ)この理論は使いようによってはとても横暴なものになりえます。

 

書名:残酷な神が支配する (5) (小学館文庫)

著者:萩尾望都

出版社:小学館

出版年:2004年

 

萩尾望都の漫画『残酷な神が支配する』(小学館文庫)には、そんな横暴が非常に上手く描かれています。或る男に性的虐待を受けていたと告白する少年ジェルミに、それを信じたくないイワンは次のような言葉を投げつけます。

「おまえは(略)物語をつくりあげて/それをオレに告白してしまったんだ」「想像力のせいだ」
――「ほんとだ!/想像じゃない/本当だ!」
――「でもしたんだ!/本当のことだ!/週末にはこの部屋に来てあのベッドでぼくを抱いたんだ!/何度も何度も!/あの柱に縛り付けられたこともある ロープで―」
「そのロープはどこにある!?/家中探したけどそんなものはないぞ!/おまえがいうものはなにもないじゃないか!」
「どうかしてる…!/それとも…/もしかして……オヤジが好きだったのか?おまえ」
「だからこんな話になってしまうのか……?/グレッグ・ローランドと…そういう関係になる空想を……」

イアンは、虐待の告白を、ジェルミ自身の欲望による幻想であると決め付けてしまい、ジェルミは、必死の告白が認められなかったことによる怒りと絶望に陥ります。この例に沿って申しますなれば、虐待や犯罪の被害者に対しこの「イワン」のような失態を犯してしまう可能性を、精神分析理論はもつわけです。

 

書名:心的外傷と回復 〈増補版〉

著者:ジュディス・L. ハーマン

訳者:中井久夫

出版社: みすず書房

出版年:1999年

 

フェミニストがフロイトのこの「転向」(実際は、フロイトは完全に「転向」したわけではないのですが―)を批判した本としては、ハーマン『心的外傷と回復』(みすず書房)があります。

話が長くなってしまいましたが、言いたかったのは、「性的虐待の事実は幻想だったかもしれない」という精神分析の理論は、或る歴史的事実は無かったと主張する歴史修正主義(「従軍慰安婦はなかった」「ホロコーストはなかった」etc)と似通ってしまいかねない・あるいは・歴史修正主義に利用されかねない、ということであります。そこで、上に紹介した伊藤氏の文章は、そ-う-な-ら-な-い-ための精神分析の使い方を示そうとするものです。

歴史修正主義が拠り所とするのは、確かな証拠はもうないということです(「家中探したけどロープはないぞ!」とイワンが言ったように)。だから被害者の困難は、語りえぬものを伝えなくてはならないところにあります。フロイトにもまた、過去は「もうない」ものであるという名言があります。だが、精神分析とは、その語りえぬものに耳を傾ける技法です。この文章では、「語りえぬ」構造そのものが明らかにされ、また、精神分析は(患者の幻想を犯人とするのでなく)「幻想の中に他者を探す」ものだとされています。語り手を抹消して口封じしようとするのが歴史修正主義のやり口であるなれば、症状が語り出す真実に耳を向け、真実を無かったことにすまいとする精神分析家は、「直接的に政治的な仕方ではないが、歴史修正主義との闘いのさなかに身を置いている」という言葉で、文章は締められています。

 

書名:F式蘭丸 (サンコミックス 416)

著者:大島弓子

出版社:朝日ソノラマ

出版年:1976年

 

● 少女漫画
上に漫画の話が出たところで、フロイトをモチーフにした少女漫画を二つ挙げておきましょう。まず大島弓子『F式蘭丸』(朝日ソノラマ)。大島弓子は、女性として成熟することをめぐる少女の違和感を上手く描く漫画家です。この作品では、少女が己の欲望に向き合うことを手助けするイマジナリー・コンパニオンを「F(フロイト)式蘭丸」と呼んでいます。

 

書名:フロイト1/2 (白泉社文庫)

著者:川原泉

出版社:白泉社

出版年:1996年

 

それから川原泉『フロイト1/2』(白泉社)は、夢や抑圧された過去をテーマとした物語ですが、ここには可愛らしく少し切ないフロイトが登場します。どうも精神分析は、或る種の少女漫画のロマンティシズムと相性がよいようです。少女漫画が、世間に先駆けて女性性をめぐる困難に取り組んだ領野であることを思えば、これもまた、精神分析とジェンダーの関係を考えるときに面白い現象かもしれん、と考えてます。

 

(文責:村田智子/むらたさとこ)