*1 「国際関係学」って…?

国境を越えたモノ・ヒト・カネ諸々の移動・結びつきが必然となり、ケータイに世界中の情報が流れこんでくるのが当たり前になった今日、私たちは、私たちの日常生活が異国の人々の生活と直結していたりすることを知っている。そして、その「私」と「遠い国の誰か」の関係が、双方にhappyなものなのか、時折疑わしく感じたりすることがある。また、自分と直接関係はないかもしれないけど、どこかの国でhappyとは言い難い出来事が毎日のように起きていることも、なんとなく知っている。

「国際関係学」という言葉は、そんな人たちに、とても魅力的に響く。

――今の自分は「世界」を一望する場所にいない。でも、この「国際関係学」というトンネルを通り抜けたら、「世界」を展望できる開けた地平に到達できるんじゃないか?――

けれども、いざトンネルに入ってみると、そんな期待はすぐに裏切られる。トンネルの内側では色々な人が火花を散らしながら好き勝手言っていて、なんでもありの惨状。「研究者」同士の論争や軍事オタクの独り言…。戸惑いながらも、歩を進めると、実はこのトンネルは一本道ではなく多方向に枝分かれしていることがわかってくる。国際政治・国際法・国際社会論・国際政治経済学…など小路には多様な名前がついている。――このトンネルの中は複雑すぎる迷路になっているのか!――

そのことに気付いたとたん、私たちは、つい、トンネルを抜け出た先の「世界」のことよりも、トンネル内部の構造に興味を向けてしまう。「世界」はどうなっているの?という問いからスタートしたはずの知的冒険が、いつのまにか「国際関係学」って何なの?という問いに答えることをゴールにしてしまう。最初と最後で問いがすり替わってしまう。

けれども、「国際関係学」とは何か、という問いに答えることはすごく難しい。というか不可能に近い。「国際関係学」は現実に起きていること・生きている「世界」を扱うものだから、トンネルを抜けた向こう側にある「世界」の動きに合わせて、トンネル内部も随時変化していく。情報と知によって更新されていく。つまり、私たちはいつまでたっても、完成型の「国際関係学」を知りようがないのだ。 だから、トンネル出口にある「世界」を見ることなしに、トンネル内をさ迷い歩いて一生を終えてしまうようなことはお勧めできない。

しかし、そうは言っても、やはり暫定的なトンネル見取り図くらいは誰にでも必要だろう。「国際関係学」トンネルの内側がどうなっているのか知りたい、という人に向けて、次の本をお薦めしておこう。

(1)『AERA Mook新国際関係学がわかる。』(朝日新聞社, 1999)
 『AERA Mook 国際関係学がわかる。』 (同上, 1994)

書名:新国際関係学がわかる。 (アエラムック (50))
出版社:朝日新聞社
出版年:1999年
書名:国際関係学がわかる。 (アエラムック (5))
出版社:朝日新聞社
出版年:1994年

多数の「専門家」がそれぞれの切り口で国際関係学について語る本書は、トンネルの内部をイメージするのに役立つ。1990年に一つの節目を迎えた「世界」に合わせて、国際関係学もまた90年以後に大きく変容してくるのだが、2冊併せて読めば、90年以前のオーソドックスな面と、90年以降顕わになってきた新しい問題群(※)を射程に組み込んだ・今日的でチャレンジングな面が把握できると思う(※出版から10年以上が経つ今、「新たな問題」はより顕在化し多様化している)。用語集やブックガイドのページもあるのでそちらも役立ててほしい。

*2 国際関係学>国際開発援助論

複雑で広大なトンネル内部をうまく進んでいく秘訣は、「自分は何を知りたいのか」を常に意識しておくこと。トンネル内全ての道を見て回るのは難しいのだから、やはりどの小路から進んでいくか、優先順位をつけていかなくてはいけない。選ぶときの基準になるのは、自分が知りたいことへの近接性(勿論回り道も大事)。あなたは、「世界」に関して、何を知りたいだろうか。答えをはっきり言葉にできなくても、自分自身にそう問いかけながら小路を選んでいくことで、自分なりの経路を作り上げ自分なりの出口を見つけることがきっとできるだろう。

ここでは、*1の冒頭で挙げた、世界中に張り巡らされた無数の「関係」性と’happy’についてダイレクトに扱う「国際開発援助論」を紹介したい。

この「国際開発援助論」という分野は
・世界がhappyであるとはどういう状況なのか? という価値や理念をめぐる思索
・happyの獲得をめぐる各国家の戦略や闘争 という生々しい事実のアーカイブ化
・世界中の人がhappyであるためにはどうすればよいのか という実践的手法の分析
…etc. と、色々な論点・視点・思考・方法が融合している。つまり、色々な方向に入り口が開かれているため、「国際関係学」の初学者が入っていきやすい学問空間だと言える。

 *1でも述べたように、「国際開発援助論」もまた、現実に動いていく「世界」を扱うために、歴史的に変化してきた。そのため、「国際開発援助論」の歴史的な変化 を押えるために有用な本を時系列に並べていくことから始めよう。

*3 「国際開発援助論」戦後~冷戦体制崩壊(90年)までの流れ

●~50年代● 1944年前後から、戦後の世界体制を見据えた論議が米ソを中心に起こり始め、なかでも戦況上最も優位な立場にあったアメリカが、その経済力を活かして、戦争によって荒廃したヨーロッパ諸国のための復興プログラムを実施し始めた。「国際開発援助」のスタートは大体この辺りからとされている。その後、50年代末までに国連やFAO,WHO, IMFなどの各種専門機関が設立され、ヨーロッパの経済も回復。同時に、1955年のアジア・アフリカ会議などに見られるように、長年にわたりヨーロッパ諸国の植民地とされてきたアフリカ大陸やアジア地域においても、政治的独立・第三世界の台頭を目指す動きが活発になる。

●60年代● 1960~65年は、アフリカ大陸の28カ国が独立するに至った。この出来事によって、宗主国―植民地の関係性は、国家―国家の関係にシフトする。つまり、それまでは「宗主国の国内問題」として扱われてきたアフリカ・アジア地域における問題群が、「新たな国際問題」として立ち現れる。

「問題」とされたのは、いわゆる「南北」格差である。それまでの「東西」対立の図式に加えて、「南北」における開発の進み具合の格差を「国際問題」として捉えようとする動きが、60年代国際開発援助論において主流になる。当時で言う「開発の進み具合」というのは、言いかえれば国民経済の発展度合いのこと。当時の「南」は、政治的独立は果たしたものの経済的に旧宗主国に依存し自立できない状況にあった。

 そのため、「北」は「南」の経済成長による開発を目指す。「北」の目指すところを説いた当時の有力な「理論」が

(2)W.W.ロストウ『経済成長の初段階;一つの非共産主義宣言』(ダイアモンド社, 1960)

書名:経済成長の諸段階――一つの非共産主義宣言 (1961年)
著者:W・W・ロストウ
訳者:木村健康、久保まち子、村上泰亮
出版社:ダイヤモンド社
出版年:1961年

 これは、当時有力であったマルクス主義史観に対抗する形で、「北」かつ「西」側の欧米諸国が経験した資本主義的「発展」を普遍化・正当化する歴史発展理論として提出された。「南」はまだ離陸Take Off前の段階にあるが、「北」がBig Push してあげる・外貨や物資を補完してあげることで「北」と同じように発展していける、という理論は、大型援助によって「南」の「近代化」を促進すればよい、という当時の「国際開発援助」の流れを支えた。その後、この「単線的進歩史観」は様々な方面から批判されることとなるが、50年たった今でも、「近代化」に対する信望や経済的発展を疑うことなく目指す風潮は、国際社会において根強く残っており、現在の国際開発援助論がロストウを完全に克服したとは言い難い。

●70年代● 「北」かつ「西」に属するグループから支持された(2)に対して、「南」側の視点から「国際開発援助」を捉えたのが、従属論や世界システム論といった学派である。「南」は「北」と政治経済的に関わる中で、ますます「南」=低開発であり続ける、といった主張を、A.G.フランクはラテンアメリカでのフィールドワークから、I.ウォーラーステインは近代における資本と国家の動きを歴史的に俯瞰することから、導出した。このような理論と「南」(資源保有国)の資源ナショナリズムの高まりが、73年の非同盟諸国首脳会議を後押しし、翌年には国連総会で「南」側のイニシアティブにより新国際経済秩序樹立宣言が採択された。

国際機関も、60年代の大型援助では「南」の草の根・細部まで効果が行き渡らない、と反省し、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)という新たな理念のもと、国家単位の経済成長ではなく、一人一人にとっての基本的な生活条件を保証するような支援が目指された。しかし、そうしたきめ細やかな援助は、「北」の「南」に対する内政干渉や「南」から「北」への援助依存などを伴う危険性を常に孕んでいた。

70年代の「開発援助」の潮流を支えた理論を理解するための導入にお薦めするのは

(3)川北稔編『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社選書メチエ, 2001)

書名:知の教科書 ウォーラーステイン (講談社選書メチエ)
編者:川北稔
出版社:講談社
出版年:2001年

ウォーラーステイン個人についてのみならず、「世界システム論」がどのようなものだったか・これからどのようなものとして現代的意義を果たしていくか、といった点が解説されている。8人の日本人研究者によって軽やかに書かれた初学者向けの良本。

●80年代● BHNの理念はその後もNGOの活動などによって継承されるものの、国際政治上の潮流は再びマクロ志向に転換する。一次産業の低迷や金利の急激な上昇(借り手に不利)から、82年にメキシコが債務不履行を宣言したことで、他の「南」の国も「累積債務」を抱えていることが顕わになり、IMFを中心に「構造調整」プログラムが進められていくことになる。

「累積債務」問題に至る経緯などについては、タイトルに「累積債務」を冠した多数の本を参照してもらうこととして、ここでは、2本の映画を紹介しておこう。どちらも、構造調整に批判的な立場から描かれた映画ではあるが、マクロな援助手法がミクロに負の遺産をばらまいていく「問題」が提起されている。勿論これらの映画を鵜呑みにしていては「学問」にはならないけれども、批判材料の一つには是非とも加えられたい。

(4)Abderrahmane Sissako監督『バマコ』(フランス, 2006)
 ステファニー・ブラック監督『ジャマイカ 楽園の真実』(アメリカ, 2001)

題名:Bamako
監督:Abderrahmane Sissako
公開年:2006年
題名:ジャマイカ楽園の真実 LIFE&DEBT
監督:ステファニー・ブラック
公開年:2001年

*4 90年以降の「国際開発援助論」

 さて、ここまでざっと「国際開発援助論」の流れを追ってきたのだが、実はこの「国際開発援助」という言葉遣いは、国際社会においては一様ではなく、時代と共に、Foreign Aid, International Assistance, International Cooperationと変化してきている。最近では、Partnership と言われることが多くなり、もはや「国際開発援助」において、主要なアクターが国家だけではないこと・「北」が「南」を「助ける」という一方的(垂直的)で固定的な構図ではなくなってきていること、が含意されている。どういうことか、もう少し詳しく見てみよう。

 90年に国連開発計画UNDPから出版された

(5)「人間開発報告書」※書誌情報等については人間開発とは | UNDP Tokyoを参照

書名:人間開発報告書2009
監修者:横田洋三、秋月弘子、二宮正人
出版社:阪急コミュニケーションズ
出版年:2010年

*これは最新版の情報です

は、90年代の潮流となる新たな「人間開発」という理念を基礎づけた。 同年に世界銀行から出された年次報告「世界開発報告」も、80年代を「失われた10年」だった、と位置づけているように、マクロ・市場経済主義的な構造調整ばかりに主力を注いでしまった80年代に対する反省が国際社会に共有された。 そこで、70年代のBHN理念を発展させようという決意から、「人間開発」「社会的開発」という理念が重要視されるようになった。

 この理念を理論的に支えたのが、経済学者のアマルティア・センである。彼の著作は多数あるが、入門としては次のものお薦めしておく。

 (6)アマルティア・セン『人間の安全保障』(集英社新書, 2006)

書名:人間の安全保障 (集英社新書)
著者:アマルティア・セン
訳者:東郷えりか
出版社:集英社
出版年:2006年

 90年当時の理論以上に時代状況を見据えてより広い問題提起がなされているため、当時のインパクトを直接うかがい知るに最適とは言えないが、センの「開発」の捉え方を垣間見るには良い本だ。

この「人間開発」という理念は、2000年のミレニアム開発目標MDGs(①低所得と飢餓の撲滅②初等教育の完全普及③ジェンダーの平等④幼児死亡率の削減⑤妊産婦の健康向上⑥HIV/エイズ、マラリアなどの感染病予防⑦持続可能な環境⑧開発のためのグローバル・パートナーシップの発展)に引き継がれ、現在でもその達成を目指して、多くのアクターが共有・実施している。

 以上のことからわかるように、これまで経済学的に扱われてきた「貧困」や「開発」といった「国際問題」は、Global Issuesとしてその定義が多方面に開かれるようになった。「南」が抱える問題の解決のために「北」が手助けしてあげる、という構図ではなく、「北」も「南」も同様の問題に直面しているのであって、互いに協力していかなければ解決はできない、という認識が、特に環境・人口問題において顕著になる。それと相俟って、「南」のownership自助努力という理念や、「国家」の働きだけでは十分ではないというNGOという組織スタイルが広まってくる。

(7)長坂寿久『NGO発、「市民社会力」;新しい世界モデル』(明石書店, 2007)

NGO発、「市民社会力」
著者:長坂寿久
出版社:明石書店
出版年:2007年

を読めば、NGOに広く共有される理念を知ることができるだろう。また、日本のNGOのJANICが運営する情報サイトも、様々なNGOの活動状況を知るのに非常に便利だ。 現在の「国際開発援助」=Partnership を理解するためには、NGOの活動を理解することが不可欠だ、ということを実感できるパワフルなサイトになっている。

また、90年代以降、NGOで活躍できる人ほど専門的な知識を備えていない「ふつうの人」も、Partnershipに加わるよう要請されるようになった。消費者としてフェア・トレードを推進しよう、正しい買い物をしよう、という動きがその一例だ。フェア・トレードについは、

(8)オックスファム・インターナショナル『コーヒー危機;作られる貧困』(筑波書房, 2003)

書名:コーヒー危機――作られる貧困
著者:オックスファムインターナショナル
訳者:村田武、日本フェアトレード委員会
出版社:筑波書房
出版年:2003年

など、多数の本が出ているので、是非一読してほしい。

 しかし、忘れてはならないが、Partnershipの今日、Internationalな問題群が全て解決したわけではない。冷戦体制の終焉と共に、新たに顕在化した国際問題が「国内紛争」である。内政不干渉の原則が掲げられる国際社会において、一国内の紛争・衝突に、他国・国際社会がどのように関与するべきか、という議論が今なお未解決の重要な問題として残っている。90年以前、軍事的な国際問題は概ね「国際開発援助論」の中には含まれることなく、リアリスティックな「国際政治論」「安全保障論」などが担っていたが、今日、アフガニスタンに「協力」するという形でアメリカ軍が派兵されている事実などからもうかがえるように、「平和構築」「紛争予防」はすべての国がPartnershipをもって参与するべき「国際協力」上の「問題」として認識されている、という面がある。国内紛争と国際社会の関与に関しては、最近(2001年ICISS報告書)「保護する責任(RtoP)」という規範概念が提出されているが、これについて日本語でまとまった初学者向けの書籍はまだあまり見当たらないので、時機を改めて紹介できれば、と思う。

*5 終わりに

 さて、大雑把な割に長文の「国際開発援助論」ブックガイドを読んで頂いて、どのような感想をお持ちになられただろうか。 最後まで読んで頂ければ、(1)で紹介した「国際関係学」の中身は非常に古臭く(笑)思われることだろう。今日のPartnershipに関わり得る主体は、政治家・理論家(研究者)・実務家・活動家・「ふつうの人」…とはっきり言って「みんな」だ。つまり、あなたもこの分野に関わり得るし関わるべきだ、とされている。どんな立場で、どんなふうに関わっていくかはあなた次第だけれども、大事なのは「理想主義」でも「現状追認主義」でもいけないということ。「理想」を模索しつつ、「現状」に着目し自分なりに分析していくこと、が求められているのだ。そのためにも、今まで提出されてきた理論を振り返ってみることは必要だろう。このブックガイドが、その作業に少しでも役に立てば…と願いながら、2010年10月時点での「国際開発援助論」のガイドは一旦終了とさせて頂く。

(文責:たなか)